武蔵村山はどんな所ですか?

武蔵村山市は、東京都の多摩地区北部にあります。そこは、武蔵野台地の西に位置し、狭山丘陵を挟んで埼玉県と接しています。古くからの機業地で江戸時代から昭和初期までは村山絣という木綿の織物の一大産地でしたが、他産地との競争に敗れ村山絣は衰退し、その後、絹織物に活路を見出して村山大島紬のブランドを確立しています。
日産自動車村山工場が地域経済に大きな役割を果しましたが、カルロス・ゴーン社長による経営改革の一環として閉鎖されました。また、この工場はスカイラインやグロリアなど数々の名車を誕生させたプリンス自動車工業の工場として親しまれていたことから工場跡地の一部が『プリンスの丘公園』として名前が残っています。
イオンモールむさし村山ミューが、2006年11月18日、日産村山工場跡地に敷地面積約13.7万の巨大ショッピングモールとしてオープンしました。ジャスコと三越の2つの大型店舗を中心に、シネマコンプレックスなどの娯楽設備や約180の専門店を整え、規模は東京都内最大です。

村山大島紬(つむぎ)は無形文化財です
 

村山大島紬が、無形文化財に指定されたのは昭和42年3月で、保持団体は、村山織物協同組合です。
狭山丘陵南麓の村山地域は、江戸時代より木綿紺絣の産地として知られていましたが、明治時代から大正時代にかけて木綿絣の研究開発が進められ生産量が増加しました。大正8年(1919)頃には板締染色の技術が群馬県伊勢崎から導入され、絹織物が多く作られました。
村山大島は先染した絹糸を手織りする紬絣で、多くは普段着として着用されました。製作の工程は大変複雑で、経糸、緯糸のほか地糸、絣糸ごとに別々の染色、糸巻きの工程があります。最後に柄を合わせ、さらに綜絖(そうこう)通し、筬(おさ)通しをして高機で織っていきます。板締染色と手織りが村山大島紬の特色です。

武蔵村山で育った芸能人は多いです

市内に駅がないというのどかな場所ですが、武蔵村山市で幼少期を過ごした芸能人は多いようです。
お笑い芸人の長井秀和の父親は、元武蔵村山市議会議員だそうです。元・シブがき隊のタレント薬丸裕英は、武蔵野市生まれで、小学校5年生から中学校3年生までの時代を武蔵村山市で過ごしました。タレントの優香も幼少時代を過ごしました。プロレスラーの高山圭司(リングネーム外道)、女子プロレスラーのジャンボ堀、お笑い芸人で東京03のメンバーの角田晃広、お笑い芸人でエネルギーのメンバーの平子悟、シンガーソングライターのかせむらみくも武蔵村山出身の芸能人です。

Copyright © 2007 武蔵村山は武蔵野台地の西にあります